わかりやすさ

 

わかりやすさは、一つの善のあり方である

 

人は面倒くさがりなので、見返りが期待できないものに対して認知資源を割こうとしない

 

 

この人の話を聴いたら何か得がありそうだ

と思って初めて、人は相手の話を受け入れる態勢に入る

 

だから、自分が高尚なことを考えていて、それを多くの人に知ってほしい

と思ったなら、それを出来る限りわかりやすく話すための努力をすべきである。

 

そう言っている私のこの話が既にわかりづらいと思うが、それは構わない

なぜなら私は今、自分の考えを整理するためにこれを書いているから

 

これを他人の前で話すとしたら

話す構成とか、例え話とか、いろいろ考えるべきことがある

 

で、そうやって「わかりやすく話す」ことを多く経験して

いちいち準備しなくても分かりやすい話ができる人が

世間では「頭のいい人」と言われたりする

 

例えば、オリラジのあっちゃんは、難しいことをわかりやすく説明してくれる人というイメージがあると思う

 

以前の私は

「なんでこの人がこんなに支持されているんだろう」とか

「俺だってこのくらいのことは知ってる」とか

あろうことか「ここはもっとこうした方がいい」とか

 

とにかく、あっちゃんのことをすごい人と思ってなかったし

だから、「なんであんなにちやほやされているんだろう」と、否定的に見ていた

 

でも、自分がいざ何かを説明する立場になってから、人にわかってもらえることがいかに難しいことが分かった

すると、誰にでも分かりやすい言葉で絵や動画を駆使して説得できることがすごいことだと気づいた

 

何か尻切れだけどとりあえず言いたいことは言えたので終わり

 

早口のススメ

 

ある程度早口で話したほうが伝わりやすい、と聞いたことがある

 

はじめに聞いた時は、ゆっくりのほうが理解が追いつきやすいし、聞きやすいのでは?と思ったのだけど

 

どうやらそうでもないらしい、と最近わかってきた

 

 

ゆっくり話されると、必死に追いつこうとしなくても話は大体理解できる

故に、他のことにも注意が向いてしまう

気がそれた先に面白いものがあったら、無意識のうちにそちらに没頭してしまうことだって珍しくない

 

逆に、早口で話されると、その内容を処理するのにいっぱいいっぱいで

他のことを考える余裕はない

 

大量の情報が流れ込んできて処理機能がパンクして眠くなってしまう、という例外的ケースを除けば

早口の方が集中して聞ける

 

 

漫才なんかで考えると分かりやすいけど

ウーマンラッシュアワーの「バイトリーダー」のネタなんかはそれだと思う

 

村本がとにかく早口で喋って、客は必死に追いつこうとして

その時点でペースは完全に村本が握っていて

理解がちょうど追いつくくらいのタイミングでボケを入れる

客は理解できたことの喜びも相俟って、笑う

 

 

短時間にボケを大量に入れる、ナイツとかNON STYLEもその一派なんだろうと思う

 

 

 

早口で話すとその分、単位時間あたりに多くの情報を吐き出すことになるし

だからネタ切れしないように多くの情報を持っておかないといけない

 

そうすると準備をきちんとするようになって

引き出しも増える

 

だから、いつもそうすべきとは思わないけど

早口でも話せるくらいの頭の回転と多くの引き出しを身に着けたいと思う

 

 

 

 

「人に話してスッキリ」しない方がいい

 

嫌なことがあったり、辛いことがあったり、苦しいことがあったり

なんかモヤモヤすんな~って言う瞬間は、誰にでもあると思う

 

そういう時に取りうる行動は大きく分けて二つ

1.自分でなんとかする

2.自分以外の何かに頼る

 

例えば仕事中にモヤモヤしたとしても、急に仕事を中断することは現実的じゃないし

そういう場合はとりあえず目の前の仕事をやって

知らない間に解消されてた、みたいなことももちろんある

 

今回は、そうじゃない場面を想定している

モヤモヤしてて、そのモヤモヤと向き合うだけの時間があるとき

あなたならどうするか

 

私の経験上、多くの人は友達や家族に話して、「あんたは悪くない」みたいな慰めの言葉を貰って満足するんじゃないだろうか

あるいは、好きな芸人のDVDを見て思いっきり笑って忘れるとか

カラオケで熱唱するとか

 

こういうことは誰しもやっていることだし、全くやらなかったら

下手をすると精神疾患にかかってしまうと思う

だから、そういうのもある程度は必要なんだ

 

なんだけど、モヤモヤを対症療法的に解消してその場はスッキリしても

根本の問題がそのままだったらいずれまたモヤモヤするんじゃないか?

と、私は思う

 

例えば職場の上司と全く反りが合わないとする

その人が原因ですごくイライラした時に

そのストレスをカラオケで解消するのも良いんだけど

その上司と反りが合わないという問題そのものと向き合って、打開策を考えたほうが建設的じゃないか?

 

イライラって、時に大きなエネルギーを生み出すから

そのエネルギーを健全な方向に誘導して

その勢いで元凶となる問題を根本的に解決すれば、二度と同じ問題でイライラしなくて済む

 

 

これを思ったのは、電車でOLさん風の人が多分会社の部下の愚痴を言っていたとき

 

同僚と思しき人に

なんであんなことができないんだ、だの

私だったらこうするのに、とか

相談してくれれば手伝うのに、とか

 

散々吐き出して、終わったらスッキリして

まああの子も悪気は無いんだよね、みたいなことを言う

 

せっかく「私だったらこうする」みたいなことを思いついたんだったら

それを実際に試してみるべきなんだけど

 

その人は言うだけ言ってスッキリしたから

多分翌日はまた何も変わらない日常を送ったんだろうと思う

それで、また部下にイライラしたんだろうと思う

 

前に攻略できなかった問題に直面した時に、前と同じ反応しかできない人は、馬鹿だと思う

自分もそういうことしょっちゅうあるし

だから敢えて強い言葉を使った

 

何か問題を抱えた時に、人に相談するまでは良いとして

その後、自分なりに改善に向けた行動をとらないと

 

問題を抱えて、それを人に話してスッキリしてしまう癖がついている人は

一生、自力では前に進めないんだろうと思う

 

 

失敗を隠さない

 

一つ前の記事の続き

 

さっきの記事で

失敗や都合の悪いことは正直に言って、全力で反省すべきだ

みたいなことを書いた

 

実は失敗を隠さないことは、他にも利点がある

 

それは、失敗しなくなることだ

 

 

自分の中で、「何があっても失敗は絶対に隠さない」と決めるとする

それは、もう何があっても変えてはいけない鉄の掟とする

 

それはつまり、失敗した時点で自動的にそれが公になるということを意味する

仮にそのような状況に置かれたら

「せっかくだから失敗しないようにしたい」

という思考回路が働くはずだ

 

そうすると「置きに行く」という逃げの選択肢が出現するが

その対策はまた思いついた時に書くとして(つまり現状では「置きに行くのはダサい」くらいの感情論でしか攻略できない)

 

そうやって失敗できない状態に自分を追い込むことで

あらゆる局面で全力を出す習慣がつく

 

そうすれば、いざという時に本領発揮できる、本番に強い人間になれると思う

 

 

それで、具体的な実践方法も考えた

結局はシンプルなもので

 

何かチャンスを見つけたら、一秒も間をおくことなくやってみる

 

というもの

他の人の様子を見てから、とか

今日はちょっと体調が悪いから、とか

 

一秒でも間をおいてしまうと、そういう余計な言い訳をこねくり回すから

 

「認知した瞬間に飛び込む」

これを徹底したら、早くたくさん失敗できる

その分、限られた時間の中で多くの経験を積むことができる

 

なんだか読み返したら、最初の方針と着地がぜんぜん違うところにいるけど

いつか気づいた時に修正するとして、一旦閉じる

 

 

言いたくないこと

 

言いたくないことは、できるだけすぐ言うべきだ

 

なぜ言いたくないかといえば

それは自分にとって都合が悪いことで

それでもいつか言わなければならないことだから

 

都合の悪いことを隠してしばらくいい顔をしていたとする

それで長い月日が流れて、仲良くなってから打ち明けたときの

相手が受ける裏切られた感たるや恐ろしい

 

それよりは、早めに言っておいて、理解してもらったほうが良い

 

仕事やなんかで失敗した時もそうだ

失敗したって言ったら怒られるし嫌なんだけど

それを黙ってたらもっと怒られる

 

失敗してしまった時点で、怒られることはほぼ決まっていて

それを自力で回復できるほど実力があるなら、そうそう失敗しないわけで

 

だから、失敗したときは

いかにして傷を浅く済ませるか

その傷を、今後にどう活かすか

を考えるべき

 

失敗をなかったことにしよう、とか

怒られたくないからうやむやにしてしまおう、とか

そういう往生際の悪い真似はやめたほうがいい

 

ちゃんと失敗して、過ちと正面から向き合うことも

一つの通過儀礼であって

そこを越えないことには魅力ある人間になれないと思う

 

失敗を失敗じゃなくする、みたいな言葉もあるように

本気で取り組んで、思いっきり失敗して、全力で打ちひしがれて、猛省すれば

 

その後には、また違った景色が見えるんじゃないだろうか

 

 

 

だったら

 

「でも」「だけど」「それは分かるけど」

 

物事を前にすすめることを妨げる言葉

この後に続く言葉が

何か新たな進歩や広がりを見せたことがいまだかつてあるだろうか

 

ないよね、って話

 

 

でも口癖はなかなか抜けない

と、ここですでに「でも」を使うほど、私自身これらの言葉に取り憑かれている

 

そこで私が取り入れているのが

「でも」を「だったら」に変換する、という方法

「だったら」を使うと、後にはどうしたって前向きな内容が来る

 

何かの事象に対してマイナスな感情を抱いたとしても

「だったら」を使うことで強制的に前向きにさせられる

 

 

 

例えば

 

 

〈でも〉

友達「明日休みだし海でも行かない?」

私「いいねー!でも今日まで仕事立て込んでてコンディションあんまりよくないんだよね」

友達「そっかー。じゃあまた今度にしようか」

私「ごめんねー。また誘って!」

 

→このケース、結局「今度」は一生来ない。友達は私以外の人を探して海に行く。私はせっかくのチャンスを棒に振る

 

 

〈だったら〉

友達「明日休みだし海でも行かない?」

私「いいね!(ここんとこ仕事がハードで疲れてるけど) だったらついでにマッサージしてくれる温泉も行きたいなー!」

友達「温泉かー!最高だね!!じゃあこことか良さそうじゃ…」

 

→有り難いことに海に誘ってもらえたが、体がかなり疲れている。ならば、海には行くとして、それでも自分の疲れを癒す方法を考える。そこでマッサージを提案した。そうすれば海を楽しめる上、疲れも癒せる。大抵こういうのは、行ってしまえば楽しい。行くまでがめんどくさいだけなのだ。友達がわざわざそのきっかけを作ってくれているのに、それに乗っからない手はない。

 

以上のように、「だったら」を使うことで「やらない」選択肢を意識から外すことができる

「やる」という前提で、自分にとってよりよい帰結を目指す

 

こうすることで、人生をより楽しめるし、周りの人を楽しませられる人間になると思う

誰のせい

 

映画『アフタースクール』より

「お前がつまんないのは、お前のせいだ」

 

ドラマ『リプレイアンドデストロイ』より

「白ブリがかっこ悪いんじゃない、かっこ悪いのはお前だ」

 

 

どちらにも共通しているのは

 

自分の現状に不満を抱えているなら

自分で変えてみろ

 

っていうメッセージ

 

何かと他のせいにして、自分を守りがちだけど

そんなことをして守れるのは、自分のくだらないプライドだけだ

ってことに早く気づいて

 

いつも、自分が本当はどうありたいのかを考えて、行動すべきだと思う