不断の努力

 

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」

 

と、これは日本国憲法第12条の条文である

 

「サボっていると自由や権利を失うかもしれませんよ」

というある種、脅迫めいた意味にもとれる

 

このことは何も自由や権利に限った話ではなく

憲法だけに特有の考え方でもない

 

大人になるにつれて、人間関係が広がる

面白い人だからまた会いたいとか

会う度に刺激を貰えるから定期的に一緒にお酒を飲みたいなどと思うことは

珍しいことじゃない

 

しかし、人間関係ほど制度化しにくいものはない

ルールを定めて定期的に会うというのではあまりに情緒が無いからだ

 

たしかに同窓会やら結婚式なんかで労せず会うことができる機会もあるが

往々にしてそうした場ではしんみり思い出話に花を咲かせることもままならない

 

ここで、不断の努力の話に立ち戻る

人間関係こそ、不断の努力によらなければ維持され得ないものなんじゃないだろうか

 

「友達」という概念はとても曖昧で

客観的に見たら月に一回会う人は仲のいい友達かも知れないが

当人同士は大して仲良くないと思っているかもしれない

逆に年に一回も会わなくても深い友情でつながっているという関係もあるだろう

 

男女関係で言うなら、正式に付き合うとか結婚するとかすれば

形式上はその関係が保証される

しかし、釣った魚に餌をやらないごとく思いやりや愛情表現を怠れば

内実としての関係性が破綻するのは時間の問題である

 

人間関係はお金で買えないものだからこそ

一個一個を無駄にしないようにしたいものだ

できる人

 

人間二人集まれば、そこにはできる人とできない人がいる

 

しかし、このできるできないというのは必然的なものなのだろうか

 

ある学者が言うには、その人がもともと持っている資質も、努力する才能まで含めて

その人が持っているすべてのものは偶然与えられたものだという

 

顔がいい、頭がいい、運動ができる、歌がうまい、絵がうまいなど

挙げていけばきりがないが

そうした力は自分がそれを授かるに値する資格を持っているから与えられたのではなく

偶然自分に舞い降りたものだと

だからこそ、独り占めしたり自分のためだけに使うのは筋違いで

コミュニティ全体のために使うべきなんだと

 

たまたま得意なことがあったとして、それを存分に発揮するのは

その人の権利というよりはむしろ義務なのだという

 

個人を集団の奉仕者として捉えて個人の人権を蔑ろにする全体主義的な主張に聞こえるかもしれない

たしかにそういう側面は否定出来ないので人に対してこの考えを押し付けるつもりは毛頭ない

 

ただ、自分としてはなんとなく納得がいったのでなるべく他の人に貢献できるような行動をとるように心がけている

 

既得権益に縋って私腹を肥やす大人にはならないようにしよう

一日を充実させるには

 

能動的に生きていないと良くない

 

朝起きるのも

家を出る前の準備も

職場なり学校なり遊園地なりで時間を過ごす時も

寝る前の時間も

 

自分で決めて自分で取り組んでいるときはやる気が出るし

間違っても眠くなることなど無い

 

人間の集中力と眠気は多分密接につながっている

双方向に影響していると思う

眠くなれば集中力は途切れるが、集中していれば眠くならない

 

でもどうしても眠いときはあるし、そういうときは仮眠をとればいいと思うけど

そもそもの睡眠の質を上げる努力も同時にすべきだ

 

寝るときは寝て、起きている時に100%稼働できる状態を作ることが重要だ

そこのメリハリをきちんとするためにも

稼働中に集中力を発揮するためにも

目的を持って、能動的に生きていきたい

神格化

 

あるものを神格化(絶対的な正解とみなすこと)すると

それを揺るぎない前提として置くようになる

人は揺るぎない前提を持っているとき、迷わず突っ走ることができる

 

幼い頃、大人は絶対だと思って言う通りにしていたこどもが

ある時、大人も所詮自分と同じ人間で、完璧ではないと気づく

そして拠り所を失う

 

それでも大人は自分より優れているという従来の思い込みを崩したくないから

大人を困らせるような問題を起こして、実力を試す

自分たちがどんな問題を起こしても大人なら解決してくれるんだろ

という僅かな望みと甘えからそうした行動を取る

 

残念ながら大人は完璧ではなく、期待に応えない

そしてそれに慣れると、大人に縋ることを諦める

完璧を諦めて、現実と妥協する

そうやって再生産された大人が、次世代のこどもを失望させる

 

 

小説『チルドレン』より

「そもそも、大人が格好良ければ、子供はぐれねぇもんだよ。」

 

こどもが大人を疑って、それでも大人を信じて試そうとする行為が非行なのだとしたら

大人たちがこどもに疑いを持たせない程かっこよくなれば、非行はなくなる

 

かっこいい大人にならなくてはと思う

失うものなどなかった

 

「今思えばあの頃は失うものなどなかったんだから、挑戦しておけばよかった」

 

事の大小を問わず、大抵の悩みは後で振り返ればなんてことないものだ

 

悩んでいる間に「実験」が中途半端になってしまうことの方がよほど問題だ

 

つまり、とりあえず収穫とか反省とかそういう俯瞰の視点を一旦捨てて

 

熱中してみないと、もったいない

 

人に親切にするには

 

 

相手をチームメイトだと思うことで、人に親切にできるようになる

 

自分さえよければいい、赤の他人のためにそこまでする気にならない

それはもちろんそうだ

 

少しの良心から人に親切にしたらそこに付け込まれて

嫌な思いをすることもある

結果、人に親切にしたくなくなる

 

でも、人には親切にした方がいい

それはみんな知っている

 

それを実践するには、親切にする相手をチームメイトだと思うこと

 

相手を赤の他人だと思うと

親切にしたところでリターンを期待できない、みたいな発想になる

 

でも、その人がチームメイトなら

そのチーム全体の報酬は「自分たち」に還元される

 

これがいわゆる当事者意識というやつだ

 

しかし、一つ問題がある

チームであるからには特定のゴールを共有している必要がある

そのゴールをうまく設定できないこともある

 

一旦実践してみる