選択肢が増えること

 

近年、人々の中にものを所有しないというスタイルが浸透してきている

シェアリングエコノミーの発達がそれを促進しているのは周知のことと思う

そして、そうしたライフスタイルの裏には多分、上質な選択肢の増加がある

 

たとえばアメリカで、T型フォードが1900年代初頭に発売されてから

20年近く一切モデルチェンジしなかった頃は

「とりあえずフォードを買っておけばいい」

みたいな風潮があったと思う

 

今はどの車でも一定のクオリティが担保されていて

デザインを取るか燃費を取るか環境への配慮を取るか、等々

選択肢が増えた分、何かを取るときに何かを諦めなければならなくなった

そうした背景から、大きなリスクを取らずにつまみ食い感覚で楽しめるカーシェアリングサービスが登場したのだろう

 

視点をガラッと変えれば、アイドルの選択肢も増えた

昭和のアイドル全盛は80年代で、国民的と言われるレベルの人はせいぜい20人に収まる程度だった

車の性能と違ってアイドルの評価項目は大概、顔面と体型と歌唱力とノリの良さくらいのもので

20人程度であれば直感的に自分の好みを判断できたんだろうと思う

 

しかし、今やアイドルの母数が増えて、国内のAKBグループだけでも300人を超えるそうだ

そこまで増えてしまうと自分の好みを一つに決められない

 

アイドルという職業自体のハードルは下がって、その恩恵を受ける人もいるのだろうけど

それに伴ってアイドルの価値やカリスマ性が下がったんじゃないか

結果として、「アイドルに熱狂している自分」に酔う事ができる人も減ったんじゃないだろうか

 

選択肢が増えることは、可能性が広がるから一見良いことのように思えるけど

まず、いくつかの中から一つに決めるのに時間をロスするし

仮に一度は思い切って決めても

後になって「他の選択肢のほうがよかったのかな」と迷うことは、精神衛生上良いことじゃない

主観的な幸福度はむしろ下がっているんじゃないかと思う

 

上質かつ多くの選択肢を前に空想を楽しんで無限の可能性に縋ることも

決めた選択肢に疑念を抱いて隣の芝生の青さを羨むことも

時間の無駄以外の何ものでもないと思う

 

それよりはむしろ

偶然にでも巡り合った選択肢を限界まで享受して、完全燃焼することの方が

よほど人生を豊かにすると思う

誰かを嫌うには

 

「誰かを嫌うには、人生は短すぎる」

たまに出る、名言シリーズ

 

これはネットで見つけたものだけど、いい線いっていると思う

「人生の貴重な時間を嫌いな人のために使うのは野暮だ」と

  

これに関連して、

「何かを生み出して得られる喜びと、何かを消費して得られる喜びを混同してはならない」

これもネットより

 

例えばテレビゲームやアプリのゲームをプレイして面白いのは、当たり前のことだ

大人が本気で仕事した結果の産物だし、ゴールもシナリオも決まっているから

だから用意された正解にたどり着くのを楽しむ、ある種、はとバスツアーのようなもの

(勿論ウイイレみたいに大きな枠組みしかなくてやりたい放題できるものもあるけど)

 

一方、何かを生み出すことは、予め決められたゴールもルートも無くて

成果を評価するのも自分(あるいは市場の反応)だから、うまくいかないことの方が多い

 

何が言いたいかというと、人が作ったものを消費して楽しむのはもちろん良いんだけど

それはあくまで自分の努力によって楽しみが生まれているのではないと

自覚すべきだということ

 

他人が金を得るために作ったシナリオを追いかけることに時間を費やすのは

嫌いなやつに時間を費やすのと大差ないと思うから

 

それを承知の上で敢えてやるのではなくて無自覚でやってたとしたら

多分後悔することになる

 

返報性の原理

 

人に親切にされたらお返しをしたくなる、という心理的反応のことを指してそう呼ぶ

 

この間あった話で言うと

初めて会った人に対して、何の気なしに

「帰り何線に乗るの?」と聞くと、返事まで少し間があった

よく考えれば初対面の人に沿線を教えたい人はいない

 

でもあの時、仮にこちらから

「自分は何線乗るけどあなたは?」

みたいな聞き方をしていたら、すんなり教えてくれていたかもしれない

 

人にものを頼む前にまず自分から

みたいなことは小学校でも教わることかもしれないけど

これをちゃんと実行すれば、それだけでもいい人間関係構築の助けになるかもしれない

偽善は悪か

 

大災害や大事件が発生した時、人の行動は二種類に分かれる

一つは問題を解決するために、働きかけること

もう一つはそれを他人事と捉えて、何も関与しないこと

 

 

何も関与しない人にも様々事情があることと思うが

自分に見返りが無いのに赤の他人に何かする意味がない

と考えて、意識的に何もしないという人は一定数いると思う

 

あるいは、自分ができることなどたかが知れているから

と、端から諦めている人もいるかもしれない

 

そして、そういう人に限って何か行動を起こしている人に対して

「なんだか偽善っぽくて嫌だ」

と、あたかもそれが悪事であるかのような言い方で批判する

 

しかし、形はどうあれ何らかの行動を起こした人は

何もしないと比べたら間違いなく問題解決に貢献している

 

行動の動機は必ずしもきれいなものばかりじゃないかもしれない

言葉を選ばずに言えば、人のために何かをしている自分に酔っていたり

芸能人がイメージアップのために取り組んでいたり

就職活動の際のエピソードを作るために慈善活動に参加したり

 

「困っている人がいたら助けるのが当たり前」

と、本気で思って助けに行く人は多くないかもしれない

でも、動機が不純な「偽善」だとしたらそれは悪なのか?

私は、「偽善も善」だと思う

 

これは視点を変えるとわかりやすいと思うのだけど

仮に自分が被災者だとして

不純な動機で助けに来てくれる人と

自分のポリシーを貫くために助けにこない人と

どっちを嬉しいと思うだろうか

 

私は動機はどうあれ助けてくれる人に感謝をする

多分殆どの人がそうなんじゃないだろうか

 

ベンジャミン・フランクリンという偉人の言葉に

「言葉はその人の賢さを表し、行動はその人の真意を表す」

というのがある

 

不純な目的のためでも

他人のために自分の時間と労力を割いて行動する人は非難されるべきではない

 

そういう人を見習って

小さくても自分にできることを探して行動に移せる人になろうと思う

ピークエンドセオリー

 

思い出は

「一番盛り上がった瞬間」「終わりの瞬間」

以外ほとんど記憶に残らない、という説である

 

たしかに思い返してみると

これまでの人生ではっきり記憶に残っている思い出ってさほど多くない

 

もちろん近年は携帯で写真を取れるようになって思い出を残すのは比較的容易になったけど

写真を見たからと言って全部思い出せるわけでもない

 

何が言いたいかというと

イベントごとを企画する役回りになった人は

全編手の込んだ事をやるよりも

緩急をつけて「ヤマ」といえるようなメインの出し物を考えたほうが

人の記憶に残るからやった甲斐があるということだ

 

ありがとうとさよなら

 

「ありがとうとさよならは言える時に言わないとだめ」

これは、とある映画からの引用である

 

あるいは、そうした気持ちを伝えるのに

「明日が来るのを待っているなら、今日でも良いはず」

これは『最後だとわかっていたなら』という本からの引用である

 

いずれも

人はいつ会えなくなるかわからないから、思った時に気持ちを伝えよう

という趣旨のメッセージである

 

これは何も人間関係に限った話ではなくて

何かしようと思ったら、その時が一番やるべきタイミングだと思う

思いが新鮮なうちにやってみてとりあえずの結論を得たほうが、大体のことはうまく運ぶ

 

思いついたことをすぐしまって温めるのではなく

一旦出してみるようにする

不労所得

 

「天然資源などの不労所得に恵まれた国家では、政治制度が発達しづらい」

という説がある

 

国家が国民からさほど税金を取らなくても、資源で歳入を確保できるから

というのがその大きな理由と言われている

 

たしかに国家というマクロな視点で言えば当たっていると思う

ただ、一個人の生涯を考えるとそうでもないように思う

 

例えば親が金持ちで小さい頃から塾に通ったり私立大学の附属の学校に通えば

かなりの確率で有名大学に進学することができる

すると就職活動もそこそこ順調に進み、当然のように金持ちが再生産される

 

ルックスの良さや身体能力も一種の不労所得である

ルックスの良い人とそうでない人がいたら、ルックスの良い方が人気者になるだろうし

そこから自信が生まれて更なる挑戦をする勇気を持てるかもしれない

 

生まれつき足が速くて小学校の徒競走で勝てば

それもまた人気を呼ぶし自信につながる

 

そして重要なことは、不労所得から成功体験を得た人は

その収穫を独り占めしようとしない

その気前の良さが好循環を生み出して、どんどんチャンスが舞い込んでくる

 

一方、勉強なりトーク技術なり何かのスキルを苦労して身につけないと

存在価値を発揮できないタイプの人間もいる

 

そうして自ら価値を生み出した人は、そこに涙ぐましい努力が乗っかっている分

他者に対して収穫を還元しようとせず、出し惜しむ

周りからは「出し惜しみするほど偉いもんか」と言われるけど

どうしても独り占めしたくなる

 

「ガリ勉」という言葉を例に取るとわかりやすいと思うのだけど

漢字にすると「我利勉」

必死に勉強した人が利己的な人間に見えるからこのような言葉が生まれたのだろうと思う

 

でも勉強の世界にも不労所得の恩恵に与っている人は居て、学年に一人くらいは

試験前友達に勉強を教えているだけなのにいつも上位の成績をとっている

みたいな人がいたと思う

 

そういう人は、生まれつき勉強ができて

さしたる苦労もせずに理解できてしまうから、それを他者に還元することになんの抵抗も持たない

 

ここまでの僻み節全開の論調からお分かり頂けたかもしれないが

私は自分が不労所得に恵まれなかったタイプの人間だと思っている

そしてもちろん「持っている側」の人間に対して僻んでいた時期もあった

でもそんなことしても問題は解決しないと気づいて、それもやめた

 

ブラックマヨネーズの吉田さんが整形の話題について触れた際

「今回の人生はこの顔で行くと決めてる」

みたいなことを言っていて、めちゃくちゃ潔くて良いなと思った

 

ルックスが良いとか悪いとかはうだうだ考えても変えられる要素じゃなくて

それをどう活かすかを考えるべきだと

そのほうがよほど健全だと思うわけだ

 

とりあえず私が今できることは

自分が苦労して手に入れたものでも

独り占めしようとせずに何でも還元しようとしてみることなのかなと

 

それで短期的には損をするかもしれないけど

そうやってこちらから何かを与えてこそ思わぬ拾い物をするチャンスに巡り合うこともあると思う

 

というわけで、気前のいい大人になりたいと思う