逆に楽しい

 

発想転換法其二

 

なにかつまらなかったり、苦しかったり辛かったり

何しろそういうマイナスな感情に心が支配されているとき

あるいは、ちょっとその気配がする時

 

深く考えずに、とりあえず

「逆に楽しいよね」

って言ってみると、ほんとに楽しくなってくることがある

 

もちろん

そんな対症療法で解決するような問題ばかりじゃないと思うけど

そういう発想の転換で、案外人は楽になれるものだと思う

おもしろくなってきた

 

逆境を目の前にした時

なんでいつも自分ばっかり、とか

どうしたらやり過ごせるかな、とか

どうせ頑張っても無駄だ、とか

 

そうやって前進しない理由を探す人は、魅力的か?

私はそう思わない

 

常に前進していなければ人として価値がない、なんて思わないし

そんなこと自分だってできない

 

でも、なにか苦しいことに直面した時に

 

「嫌だな」じゃなくて

「おもしろくなってきたな」って思う方が

 

多分人生を前に進められるし、何より自分が楽しいと思う

 

 

「負ける」という行為の九九パーセントは「自滅」

雀鬼」こと桜井章一さんの言葉

宇宙兄弟の「俺の敵はだいたい俺」とも似ているような

 

例えば急にハンターハンターヒソカみたいな奴と戦うことになって

気づかないうちに殺されていた、みたいなケースは別だけど

大概は、そこまで格差のある相手と突然戦うことにはならない

 

だとすると、本気で勝とうと思ったらできることはたくさんある

相手の弱点を事前に探っておくとか

相手によらずいかなる局面でも仕掛けられる武器を磨くとか

負けそうになっても最後まで活路を探し続けるとか

 

他にも、いくらでもやれることはある

なのに、そこから逃げて

全力を尽くしたとか、限界まで頑張ったとか、相手が悪かったとか

そういう言葉を軽はずみに口にする

 

本気で勝ちたいと思うなら、1%でも自分の勝利を疑ってはいけない

試合を投げずに、最後まで常に最善手を取り続けて

それこそ相手が自滅するまで粘り続けられれば、大体勝てる

 

「自分の”宇宙へ行きたい”っていう夢を

さんざん邪魔して 足を引っぱり続けたのは

結局 俺でした」

 

これは最初に触れた宇宙兄弟の台詞の続き

 

失敗の原因を自分以外に求めて自己を正当化したいなら、勝手にすればいいけど

それによって成し遂げられるのは、くだらないプライドの防衛だけ

 

夢を成し遂げたいという自分と

楽をしたいという自分と

どっちが勝つか、どっちが強いかを決めるのは自分だし

どっちが勝つストーリーの方が自分にとって面白いと思うか

そう考えたら答えは自ずと見えてくる

造語とイノベーション

 

イノベーションは現状の延長線上にしか起こり得ない

みたいなことをしばしば耳にする

極端な例でいえば、江戸時代にiphoneがあってもだれも便利だと思わない

 

また、イノベーションは既存のものの掛け合わせだとも言われる

同じくiphoneで例えるなら

「ポケットサイズの電話」と「パソコン」と「音楽プレーヤー」という既存のものをかけ合わせて

それまでなかった体験を消費者に提供した

 

仮に以上二つをイノベーションの要件とすると、造語や新語もイノベーションだということになる

 

例えば、藤田ニコル(「若者言葉」の最先端かつ有力な発信者、という想定)が

江戸時代にタイムスリップしても、「若者言葉」を流行らせることはできないだろう

既存と離れすぎていて利用者が価値を感じないからだ

 

 

既存の掛け合わせの例で言えば

日本語で頻繁に用いられる造語の手法の一つに、名詞+「る」がある

 

例えば、チキる、ジモるなどの一般名詞や、ググる、ヤグるなど固有名詞まで

何でも「る」を付けてしまえば動詞化される

そしてそれが転じて

「どや」というおそらく感動詞に当たる言葉が「ドヤ顔」と名詞化され

最終的に「ドヤる」と動詞化された

感動が既に動きなのに、それを再度動詞化するってどういうことだって

冷静に分析するとそう思うけど、かくいう私も「ドヤんなよ~」みたいなことは日常的に言う

 

この調子で行くと

「オイる」(アンジャッシュ児島さんのお家芸「オイ!」+「る」)

なんかがでてきてもおかしくないと思う

 

そんなわけで何が言いたいかというと

「若者言葉」を「日本語の乱れ」と忌避するのではなく

イノベーションの一環として、トレンドを追いかけるほうが、多分ずっと面白い

フリーライダーのジレンマ

 

フリーライダー

 

経済学においては、ことに公共財のように非排除性があるサービスについて、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す用語である。

〈出典〉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC

 

コストを払わずに利益を得ようとする人、みたいなこと

大人数の集団においてこういう人が占める割合が大きいと

「正直者がバカを見る」ことになる

 

しかし、私の見解ではフリーライダー的メンタリティは、総合的に見ると損をする

その前提には、フリーライダーが物事に対して前進か後退かで言うと後退しているという考えがある

故に、突然降って来たチャンスに対して一瞬でのめり込めるタイプの人ならフリーライダーであっても損をしないと思う

 

なんだけど、大半の人は降ってきたチャンスに対してすぐに臨戦態勢を取れない

フリーライダーは往々にして受動的なスタンスを取っている

一方公的な形式の授業だと内容が入ってこないように、受動的なスタンスは新たな収穫を得るのに向かない

 

一方、自らコストをかけて何かを得ようとする人は受け入れ体制が整っている

すると、意図した収穫を存分に享受できるのはもちろんのこと

思わぬ僥倖もきちんと享受する準備ができている

 

そして以上の考え方は、人生全般において言える

便宜的にフリーライダーの対義語を「ドライバー」と名付けるなら

ある分野に関してドライバー的スタンスで臨んでいる人は、大抵他のことについてもドライバーである

一方、ある分野においてフリーライダー的スタンスを取っている人は、他の事に関してもフリーライダーである

 

で、人生における様々な局面で自ら何かを得ようと働きかける人と

いかなる局面でも、なるべく労せずおこぼれに与ろうとする人では

人生を通して見た時の充実度が全く違うことになるのは明白だ

 

というわけで、自らリスクやコストをとることを厭わずに自分の人生を切り開いていきたい

オリる

 

数日前から麻雀の勉強を始めた

昔から大富豪みたいな戦略ゲームが好きだったのと

好きな小説に麻雀が出て来るというのが直接の理由

 

麻雀の本を読んでいて、「オリる」という概念に出会った

 

その局で自分が勝てないと判断したら

それ以降は自分の手を崩して敵が欲しくなさそうな牌を捨てること

 

ざっくりいうとこんな感じだろうか

つまり、リスクを取ればもしかしたら勝てるかもしれない局面でも

大損することを恐れて守りに入る行為

みたいなこと

 

熟練者が使い時をわきまえて戦略的に使う分には構わないのだけど

初心者の内からオリを覚えてしまうとそれ以降上達しない、とその本の著者は言っていた

 

これって何も麻雀に限った話じゃないと思って、その感想をここに書くことにした

 

前に青い鳥症候群に関する記事を書いたけど、それに関連している

今の時代は、どの領域にも「先人の知恵」が蔓延している

何か新しいことを始めようと思ったとして、「とりあえずググって」みない

という人はほとんどいない

 

かくいう私も、麻雀の勉強をはじめるのにネットと本から入った

かつて先人の知恵がこれほど商品化されておらず、手軽に手に入らなかった時代は

例えば麻雀で言えば、親や知り合いに聞くか、直接雀荘に行ってみるしかなかった

それが今や家で寝ながらアクセスできるようになった

 

で、ここからが本題

ネットや本だと、一人で完結できる

新しい挑戦を見守る新しい人間関係ができるわけでもなく

ネットでほぼコスト0で情報を得られる

そうやって簡単に手に入れた情報だけで

なんか面白くなさそうと思ってやってみないのは、まさに「オリ」だ

 

表面的な知識やテクニックを情報として手に入れただけでは、本質に到達し得ないし

挑戦してみたら、それまで見えていなかった景色が見えることもある

 

というわけで、どんな局面でも人生をオリずに前進していこうと思う

距離感

 

敬語を使えない人は、社会的に見てよくない

それには私も同意する

 

しかし、敬語が一切取れない人も、同様に良くないと思う

 

敬語は人間関係の距離感を明示するものだから

いつまでも敬語をとらないのは、心を開いていないから

 

自分から心を開いて拒絶されるとけっこう傷つくし

だから守りに入りたくなる気持ちも分からないではないけど

 

一方的な見解を述べるなら

人間関係はできるだけ踏み込んだほうが、人生面白くなる

 

もちろん踏み込みすぎて変な感じになってしまうことは、決して珍しいことじゃない 

不要な問題を起こさないほうが楽だっていうのも分かる

 

分かるんだけど、そんな可もなく不可もない人生のどこが楽しいのか

これはいつぞやの記事にも書いた気がするが、人間いつになっても失うものなど無い

 

だからこそ、これは人間関係に限らずだけど、何事もとにかく踏み込むっていうスタンスの方がいい

はっきりわかっているのは

人間関係踏み込みすぎると、確実に一回は変な感じになるということ

 

でもそれを乗り越えると、ちょっとのことでは壊れない関係ができる

そして裏を返せば、そこに踏み込むリスクを冒せないうちは

本当に心を許せる人なんて一生かかってもできない

 

5年以上同じコミュニティにいるけど全然お互いの事知らないし、仲良くもない

っていうケースもあれば

知り合って半年なのに知らないうちに家族同然の距離感になっていた

ということもある

 

みなさんにも

どれだけ壁をつくってもへこたれずに距離を詰めてくる人

が、必ず一人は居たはずだ

あなたはそういう人に対して、心の底から憎いと思っただろうか

 

自分のプライベートな領域に土足で踏み込んでくる人って、はじめは鬱陶しいし

ほっといてくれよ、って思うかもしれない

でも、ほっといて欲しいと思うのは

それ以上自分を掘り下げられても、相手の期待に応えるだけの物が出てこないと思うからではあるまいか

だから拒絶するけど、それでも食い下がって距離を詰めようとしてくる人に対して、私たちは悪く思うだろうか

そんなことはない

 

 

人間として生まれたからには

単に衣食住を確保して、子供を産んで種の保存に貢献するだけじゃ面白くない

 

じゃあ何が一番おもしろいかって言えば、人間関係を構築すること

友達でも同僚でも恋人でも家族でも、そういう言葉で表せない関係も含めて

とにかく深いつながりを持てる人を探して、そのために自分から踏み込み続けるっていうのが

自分にできることなんじゃないかと思う