距離感

 

敬語を使えない人は、社会的に見てよくない

それには私も同意する

 

しかし、敬語が一切取れない人も、同様に良くないと思う

 

敬語は人間関係の距離感を明示するものだから

いつまでも敬語をとらないのは、心を開いていないから

 

自分から心を開いて拒絶されるとけっこう傷つくし

だから守りに入りたくなる気持ちも分からないではないけど

 

一方的な見解を述べるなら

人間関係はできるだけ踏み込んだほうが、人生面白くなる

 

もちろん踏み込みすぎて変な感じになってしまうことは、決して珍しいことじゃない 

不要な問題を起こさないほうが楽だっていうのも分かる

 

分かるんだけど、そんな可もなく不可もない人生のどこが楽しいのか

これはいつぞやの記事にも書いた気がするが、人間いつになっても失うものなど無い

 

だからこそ、これは人間関係に限らずだけど、何事もとにかく踏み込むっていうスタンスの方がいい

はっきりわかっているのは

人間関係踏み込みすぎると、確実に一回は変な感じになるということ

 

でもそれを乗り越えると、ちょっとのことでは壊れない関係ができる

そして裏を返せば、そこに踏み込むリスクを冒せないうちは

本当に心を許せる人なんて一生かかってもできない

 

5年以上同じコミュニティにいるけど全然お互いの事知らないし、仲良くもない

っていうケースもあれば

知り合って半年なのに知らないうちに家族同然の距離感になっていた

ということもある

 

みなさんにも

どれだけ壁をつくってもへこたれずに距離を詰めてくる人

が、必ず一人は居たはずだ

あなたはそういう人に対して、心の底から憎いと思っただろうか

 

自分のプライベートな領域に土足で踏み込んでくる人って、はじめは鬱陶しいし

ほっといてくれよ、って思うかもしれない

でも、ほっといて欲しいと思うのは

それ以上自分を掘り下げられても、相手の期待に応えるだけの物が出てこないと思うからではあるまいか

だから拒絶するけど、それでも食い下がって距離を詰めようとしてくる人に対して、私たちは悪く思うだろうか

そんなことはない

 

 

人間として生まれたからには

単に衣食住を確保して、子供を産んで種の保存に貢献するだけじゃ面白くない

 

じゃあ何が一番おもしろいかって言えば、人間関係を構築すること

友達でも同僚でも恋人でも家族でも、そういう言葉で表せない関係も含めて

とにかく深いつながりを持てる人を探して、そのために自分から踏み込み続けるっていうのが

自分にできることなんじゃないかと思う